簪さんはお休みしたい ーゆっくり生きログー

いろいろ。時々リアル。日記なのに不定期投稿(しばらく毎日)

「読書感想文のような文章を書くのは苦手だけど、ブログ等の文章を書くのは好き」というのは割と当たり前のことだよーっていう話。


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やっほー

 

かんざしです

 

 

最近この

「なんでもないようなことを言う記事」

カテゴリを更新するのが楽しくて好き

 

ふつーの記事もそろそろ書きたいけど

こーゆう自分が思ったことや

感じたことを駄文的に書くのは

楽しいですね

 

んでんで

今回はまさにその

ブログの文章の話なんですけど、

よく

 

「国語が苦手なわたしでも

ブログを継続することができました」

 

とか

 

「読書感想文は苦手だけどブログの文章を書くのは得意です」

 

という人を見かけます

 

あ、別に批判とか

それだめだよーっていうのじゃ

ないのです

 

ただ、

個人的には

「当たり前じゃないかな?」

と感じるのです

 

どちらも「何かについての文章を書く」という点であったり、国語的知識を用いるという点で話はそうなのかもしれないですが

 

そもそも

両者を比べるに至って

前提条件が違いすぎると思うんです

 

プログラム的に言えば

変数の型が違うので参照し合えないのです

 

どうしてブログを書くのが得意なのか、

楽しいのか、

それは「自主的に」ブログをやっているから

なんです

 

これはブログで文章を書くことに限定したことではないですよ?

 

他人が

「え。。それって大変そう。よく止めないね」

 

と思うようなことであっても

「自らの意思で始めた」ものは

大抵楽しいものなのですよ

 

私で言うとスポーツを趣味としている人は

不思議で仕方がありません

 

当人は楽しそうなので問題ないですけど

 

一方で、

どうして読書感想文を書くことは楽しくないのか

 

それは一方的な押し付けをされているからなんですよね

 

学校の先生然り、両親に

「それをしなさい」と強要されたものを

嫌々ながらも受け入れているから

それが苦痛に、楽しくなく感じてしまう、

ということです

 

それはそうと、

小学生の頃、

読書感想文が得意な子や好きな子を

見たことはありませんか?

 

別にあの子達は国語が得意、好きだから

読書感想文が得意なわけではないんですよ

(そうゆう人もいるとは思いますが)

 

彼らは読書感想文を許容しているからこそ

それを楽しいと感じているんです

 

嫌々な気持ちでやってないからなんですね

 

 

なので嫌なことに取り組まないといけない時は

まずそのものを楽しめるよう許容することが大事だよーっていう

当初とだいぶ内容がずれた

話です

 

読み返してみるとよくわからないですね

 

何も考えずに書くのは楽しいけど

考えなさすぎも問題かも・・・

 

 

今日はここまで

 

それでは

 

 


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